江戸時代の島原Q&A

「島原城下町」について

1.城下町はどんな様子でしたか。
 城下町は次の3町に分かれていた。人口7971人(男4033、女3938)
 古町:堀町、桜町、古町、白土町、白土船津などに415軒。
 新町:有馬町、万町、新町、風呂屋町、浦田船津など449軒。
 三会町:三会本町、中町、片町、宮の丁など349軒。
 各町に別当と言う町役人がいて、町を管理していた。古町:中村孫右衛門、新町:隈部杢左衛門、三会町:姉川伊兵衛
 1792年の島原大変で城下町は大被害を受けたが、再び復興。古町と新町が生まれ変わり、南部に新しく湊町ができて、有明海交通の中心地として非常に栄えた。
2.どんなお祭りがありましたか。
 猛島神社の例祭が8月13~15日で、大手広場では舞(大踊、小踊など)。松島社(弁天山)の相撲が9月13日。瓢箪稲荷社例祭2月初午の日。各村でもそれぞれ氏神様の例祭があった。
  祭りではないが、2月3日から大市(初市)が大手広場で開かれて大変賑わった。お盆には精霊流しもあった。
3.城下町にはどんな店がありましたか。
 酒屋15軒、糀屋15、鍛冶屋14、紺屋30、桧物師5人、桶師13、畳師3、
塗師3、金具師2、油屋5軒、他に小間物屋、煮売り店、行商人など多くあった。
  現在のアーケード街は今の昔も変わらない繁華街である。
4.城下町ではどんな暮らしをしていましたか。
(1)家業に精出す。仕入れ――加工、販売――農民や武士へ。領外へも販路を広げていた。特に海運業は盛んだった。
(2)店には、主人――番頭――手代――小僧。女将さん――女中 がいた。
(3)景気、不景気の波が大きかったようだ。
(4)そんな中で、豪商も生まれた。今も続き、屋号が残っている。
5.昔の建物が残っていますか。
 白土町の山崎家(酒屋、小松屋)。白土町の本田家(元酒屋、塩屋)。上の町保里川家(旅籠、平戸屋)。万町の堀部家(綿屋)など、10軒以上残っている。
6.今と変ったところがありますか。
衣:着物(和服)、ぞうりや下駄、丸髷やちょんまげ。
食:米、麦、魚、野菜など自然ものが中心で、純国産品。領内で生産したものが多かった。
住:木とワラ、紙など。電気、石油などエネルギーなし。機械もない時代だった。